まーみんのHSP日記

「超敏感な人(Highly Sensitive Person)」の主が、資本主義社会を出来る限り穏やかに生きていくための、ノウハウを探しています。

自分のルーツ

こんばんは。まーみんです。
ニート10日目です。コロナウィルスで外出自粛ではあるが、そろそろ求人探そう。
先週は入籍の報告やら何やらで友達とご飯いったり、一人で家にいる時間が増えたので買い出ししたりして過ごしました。
今週は家の掃除(毎日やれ)やら、自分スペースの断捨離やらを中心に過ごしました。
そこで学生時代の顧問からの手紙を見つけ、思うところがあったので自分のルーツを振り返ります(°▽°)




今振り返ると、私が生きづらさを感じたのは高校生から。親の期待に答えるため、偏差値違いな学校に無理やり入学し、劣等感まみれの生活を送っていました。そんなある日、貴重な幼馴染とささいな事で喧嘩別れします。彼女は共通の友人を何人も味方に付け、周りの子達が私を仲間外れにするようになりました。学年もクラスも部活動も一緒だったため、私の居場所は一気に減ります。
彼女たちが私の近くを通る度に蔑んでいるのが聞こえ、毎日陰口を言われました。当時は「気にしたら負け」と思い、聞こえないフリをしていました。
最初は辛い気持ちを誤魔化して通学していましたが、次第に学校に居場所が無いと感じた私は不登校になります。何回も遅刻して親に文句を言われながら、行きも帰りも通学バスの中ひとりでコソコソと泣いていました。思春期らしく、家出も何回かしました。毎日朝起きると目の前にもやがかかっているような感覚で、視界がはっきりしませんでした。自分が何処にいるのか何者なのか、自問自答していました。月日が経ち、「今日はモヤモヤしないな、空が青いな。」と感じたのは高校の卒業間近でした。


その後地元を離れ、都心の大学に通い「自分の過去を知っている人はいない、自由に過ごして人生やり直そう。」と大志を抱いていましたが笑、環境が変わったからといって人間すぐには変われないことを知ります。新しい友人やコミュニティが増え社交性は身に付きましたが、そのたびに失う怖さも増えていき、いつもどこかで他人と一線を引いていました。
けれど、自分なりに歪んだ認識を直そうと行動しました。学校の運動系のサークルに入ったり、地域のダンスサークルに一人で入団したり、ボランティア活動、接客のアルバイト、合コン・飲み会の幹事も進んで引き受けていました。当時、交際費は自己投資と思って湯水のごとく使っていました。地域サークルの遠征費なんて、10万くらい!
この頃は一人暮らしをはじめ、自分と親について冷静に考えるようになりました。自立を自覚しながらも、親には恩返ししないと、親孝行しないといけない、実家でどう過ごしたらいいのか、など試行錯誤していました。


ぼやっとした生きづらさをはっきりと自覚したのは大学3年のころでした。普段通り登校しようと準備しているのに、ある日突然家から出られなくなったのです。何が起きたのか自分でもわからなくて、ネットで一生懸命調べました。以前から自分がうつ傾向にあることは認識していましたが(病識がなかった)、目の前の出来事と感情が一致しなくて、冷静に記事を読み進めてやっと「ああ、私ってうつなのか。」と理解しました。それから近くの精神科に行き、通院生活が始まります。ことあるごとに、うつだから仕方ない、という気持ちと自分はうつになるほど弱くない、という葛藤が起こるようになりました。抗うつ剤を飲んでいることは、ほとんど誰にも打ち明けることはありませんでした。


社会人になり転勤のある飲食業に就きました。帰省して家族に会う機会はうんと減り、身内のことで思い悩む時間も減りました。全国転勤しながらも、転々と病院を回りなんとか自分とお薬を繋ぎ止めていました。仕事がしんどくても私の繊細さを素晴らしい接客力と評価してくれる上司がいたから頑張れました。それに自分を否定しないでいてくれる大多数の人との出会いも、私の客観性を育ててくれました。以降は、なかなか相性の良い仕事が見つからず、過去の仕事は全部1年ほどで辞めています。
大人になっても、嫌がらせをする人、すぐマウンティングする人、感情的になる人、他人に痛みや損害を与えることに快感を得ている人、などに関わって不愉快な思いをたくさんしたけれど、経験により、自分や他人に対しての許容範囲が少しずつ広くなっていきました。周りの顔色を伺わないで、自分はこうしたい、こうしようって考えて行動できるようになりました。

ずっと一人だと思っていた私も、今は心から一緒に居たいと思える人に出逢い、結婚というステージを前に過去を、自分を受け入れる余裕ができました。
他人も自分さえも受け入れられなかった、ひねくれた小娘に寄り添ってくれた顧問の先生。「「貴方は頑張り屋だけれど、もっと素直になっていいんだよ。。。」」丁寧な文字で書かれた手紙に恩師の温かさを感じました。
自分には出来ないことや許せないこともまだたくさんあるけれど、今、目の前の人を大切にして、毎日一生懸命に生きようと、改めて思った1日でした。