まーみんのHSP日記

「超敏感な人(Highly Sensitive Person)」の主が、資本主義社会を出来る限り穏やかに生きていくための、ノウハウを探しています。

「今」を生きること

久しぶりに弔事で家族に会いました。
私は家族が嫌いでした。
子供の頃は、親や親戚、周りからの愛情をあまり感じずに育ちました。中間子ゆえの属性もあったと思います。自分では兄弟間のカーストが低かったと思っています。どうやったら親が自分を見てくれるか、愛してくれるかを考えて過ごしていました。そしていい子と思われたかったので、ずっと背伸びして時に自分を騙して生きていました。

ある時は、自分が悪いと思って何度も性格を直そうとしました。思い込みが激しいとか、考えすぎとか、その度にアイデンティティーを失い、自分が嫌いになりました。自分が自分でいられず、自分という存在が認識できず、存在が脆く壊れやすくなっていました。ある時は、家族が悪いと思って、親との連絡を断っていた時期がありました。思春期では何度か家出もしました。家族のことは嫌いだけど他に自分の居場所、承認欲求を満たしてくれるものがなかったので、依存していたんだと思います。

自分が家庭を持つ番になり、家族について客観的に考える機会が増えました。振り替えると私は自分の理想を家族に押しつけていたように思います。自分を理解して愛してくれる家族、自分が愛されてるって思えるような家族が欲しかった。でもそれは難しいことでした。私が家族から愛されていないと喉の奥を痛ませながら、寂しく思いながら過ごした子供のころの時間は戻りません。でも、そこで過去にこだわっても何も変わらないです。だって、私が生きているのは今、だから。

いろんな動画を見たり本を読んだりして勉強しました。どうやったら「今」を生きることが出来るか。
苦しい、不安、寂しい、そういうマイナスな感情が厳しい環境下で生き延びる術として、優位に残るように人間はプログラムされていると心理学の動画で知りました。例え、家族から愛されなかった悲しい記憶、「過去」があっても、「今」を生きることは別の軸の話です。そういう悲しい記憶も、人間の性というか、あってもおかしくないことのようです。

「隣の芝生は青い」とよく言います。我が家は確かに金銭的には恵まれている方の家庭でした。子供3人大学まで行かせることは一体いくらかかるでしょうか。その金額を持った今の自分は想像できないし、お金と時間を子供に20年も割ける世の中の親は全員素晴らしいと思います。でも、子供時代の友人らの「家族で◯◯したー!」「昨日うちのお父さんが◯◯しちゃって~っ…」とかいう些細な微笑ましい会話が本当にうらやましかったです。自分の家族関係は他の家と少し違うと感じていました。そして自分が愛されていない家族を認めたくなかったので、自分のところは悪い家族だと思っていました。

時が経ち経験を積み、その感情は必要がなくなり、自分の家族を否定する苦しみから解放されました。自分は子供時代から血縁家族に愛されなかった、だから自分を愛してくれる家族を自分で作ります。ないなら作ればいいんです。こんな簡単なことに、何故今まで気がつかなかったのでしょう。
血縁家族といっても、一人暮らしして10年経てば、この変化が激しく速い世の中で、属人的な意識や記憶は脆いものです。自分以外の人生なんて、分からなくて当たり前。いつもそういう前提でいたほうが、精神衛生上良いです。昨今、家族のかたちは様々です。デコボコでもちぐはぐでも、本人たちが家族と思っていればそれが家族です。

今、血縁家族よりずっと大切な人ができました。その人はいつも、自分を受け入れ理解して愛情を持って接してくれます。お互いが自立し支え合うことで、よりよい今や未来に向かって一緒に生きていけます。問題が起きても、目の前のことや一時的な感情にとらわれず、本質を見極め今どうするかを常に考え行動できます。これからは等身大で、自分に嘘をつかず、よりよい人生を作っていけるよう、はじめから諦めずに自分を信じて努力します。そうすることが自由に生きる近道と信じています。